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チーズケーキとは何か?

チーズケーキはなぜ西洋菓子なのか?

チーズケーキはなぜ西洋菓子なのか?チーズケーキとは何か?

この世で最初にチーズケーキ的なものが食べられたのは、紀元前のギリシャだといわれている。また「Cheese Cake」という語が世界で最初に使われたのは15世紀のイギリスだといわれている。

そして日本において初めて「チーズケーキ」という単語が使われたのは、1873年に出版された「万宝珍書」という百科事典の西洋菓子を紹介する項のなかだ。それまで日本にはチーズケーキという言葉もなかったし、チーズケーキに準ずる菓子もなかった。

チーズケーキは紛れもなく西洋菓子だ。

ではいったいなぜチーズケーキは西洋菓子なのだろうか。つまり、なぜチーズケーキは西洋で生まれて、日本あるいは東洋で生まれなかったのだろうか。

本記事ではこの素朴な疑問を掘りさげていく。

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日本人がチーズを食べるようになったのは割と最近

チーズケーキはなぜ西洋菓子なのか?

まずシンプルな回答として挙げられるのは、近代まで日本にはチーズを食べる習慣がなかったからであり、ゆえにチーズケーキが生まれなかったから、というものだ。

日本で酪農が本格的に行われるようになったのは江戸時代以降であり、また「チーズケーキ」という単語が日本の文献に現れるのは、前述の通り1873年だ。

チーズの工場製造が始まったのは1928年であり、チーズケーキが現在のように一般的に食べられるようになるのは、1970年頃になってからだ。日本人がチーズを日常的に食べるようになったのは、ここ100年くらいのことだし、チーズケーキに関してはまだ50年くらいなのだ。

一方、西洋には紀元前からチーズがある。チーズの起源は紀元前5000年頃のポーランドだといわれているし、また西洋においてチーズは人々の食文化と密接に関わっており、神への捧げものや、領主に収める税としても利用されてきた。チェダーやロックフォールなど、世界的に有名なチーズを生み出した地域においては、そのチーズは地域の人々のアイデンティティと深く関わっているという。

神への捧げものや税としても利用され、またアイデンティティと深く関わっているというのは、日本における米(コメ)と同じだ。

日本の米と同じように、西洋ではチーズが生活に欠かせない重要な食べ物だった。砂糖や蜂蜜をトッピングしてケーキ状にしたもの、つまりチーズケーキ的なものが、紀元前からすでに存在していたとしても何ら不思議なことではない。

「チーズケーキはなぜ西洋菓子なのか?」

この問に別の角度から回答するならば、西洋にとってチーズは重要な食べ物であり、ゆえに日本よりもはやくチーズケーキが生まれたからだともいえる。

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日本人は奈良時代にはすでに乳製品(蘇)を食べていた

それにしてもなぜ日本では、最近までチーズを食べる習慣がなかったのだろうか。

前述の通り、日本で本格的に酪農がはじめるのは江戸時代になってかなのだが、実は、日本人が初めて乳製品に触れたのは奈良時代だ。

日本人が初めて乳製品を口にしたは7世紀頃。朝鮮半島で食べられていた「蘇」という乳製品が日本に伝わった。蘇は牛乳を煮詰めたもので、2020年のコロナ禍において、学校が休校になったことで給食がなくなり余った牛乳を大量に消費する方法の1つとして、牛乳を煮詰めて作る「蘇」が一部で話題になった。

古代に作られていた蘇の具体的なレシピは不明で、ネットで話題になったレシピは想像で再現したもにすぎない。また蘇が古代のチーズだと言われることがあるが、実際どんな乳製品だったのかは様々な議論がある。厳密にはチーズではななく、バターやクリームに近いものだったという説が有力だそうだ。

古代における蘇は、もっぱら薬用に食べられていた。700年には宮廷が蘇の製造を命じたという記録があり、蘇は宮廷のお墨付きを得るほどの食べ物だった。

とにかく日本には、奈良時代に乳製品がすでに存在していた。しかし蘇が、現在のようなチーズに発展することもなかったし、チーズケーキのようなものが生まれることもなかった。

なぜ蘇からチーズは生まれなかったのか?

その理由を探るのは難しいが、筆者は、短期のうちに蘇が日本の食文化の表舞台から消失してしまったために、チーズやチーズケーキにまで発展しなかったのだと考えている。

貴族に独占されていた蘇は、食文化から消失した

700年頃から食べられていた乳製品「蘇」は、鎌倉時代になると姿を消してしまう。

古典的な日本料理である会席料理や精進料理、そして和菓子に乳製品が一切使われないのは、日本料理・和菓子の下地が完成する時代に、乳製品を消費する文化がなかったからだといわれている。

ではなぜ、乳製品は食の舞台から姿を消してしまったのか。その理由は、蘇が貴族や皇族など身分が高い人たちに独占されていたからだ。

奈良時代に伝わった蘇だったが、食べていたのはもっぱら貴族と皇族だけだった。鎌倉時代になり、政権が武士に移行するわけだが、武士には蘇を食べる習慣はなく、また乳製品の利用価値も把握していなかった。だから牛を乳のために利用することがなくなっていった。

牧畜は継続されていたそうなのだが、牛に鍬を引かせて農耕のために利用したり、馬具の材料として利用されるようになり、乳を採る習慣は消えていった。また殺生禁止令によって、食べるために動物を殺すことが禁止されていたことも乳製品消失の一因としてあるだろう。

こうして乳製品は、日本食文化の表舞台から姿を消すことになる。

乳製品がなくても日本人は生きることができた

乳を食用にする文化が本格的に復活するのは江戸時代、徳川吉宗の時代になってからだ。西欧の科学や医学をオランダ語文献で勉強した学者たちが、牛乳の栄養価が高いことに気づいたことがきっかけだそうだ。

オランダ語の文献で牛乳の価値を再確認したということは、つまり古代の日本において消費されてきた乳製品の有用性は、すっかり忘れ去られていたわけだ。

見方を変えれば、日本人は乳製品を食べなくても生きていけたのだ。もちろん日本人は幾度となく飢饉を経験している。しかし海に囲まれ四季がはっきりしている日本は、総じて食べ物が豊富で、動物の乳を食用にしなてくも食料を十分にまかなえたということでもある。それは四季折々の食材をつかった華やかな日本の伝統料理をみれば明らかだ。

日本にとって、乳製品はなくてもよかった。

「なぜチーズケーキは西洋菓子なのか?」この問いは、日本人にチーズケーキは必要ではなかったからだ、と回答することもできるかもしれない。日本においては、米をベースとした、四季折々の食材を使った和菓子で十分だったのだ。

価値が正確に理解されない文化は消失する

「チーズケーキはなぜ西洋菓子なのか?」

この問いについて、色々な角度から回答してみたが、1つ学べることがある。それはいかにして食文化は消失するかということだ。

前述の通り、日本は古代から乳製品を消費してきたが、その文化は鎌倉時代になって消失する。その究極的な理由は「なくても大丈夫だった」といえるのであるが、表面的には、乳製品の価値を知らない武家に政権が移ったことでもあった。

言い換えると、価値を知らない人たちによってある文化が消されてしまったといえる。これは現在でも教訓になりえる。

他の国もそうだが、日本には独自の文化がたくさんある。食文化はとくに豊かだ。しかしこれら文化は、たとえ価値があったとしても、重要性が理解されなければ消失してしまう。鎌倉時代に乳製品が消失したように。

もちろんすべての文化を継承していく余裕は、今の日本にはない。それに身の回りは、海の向こうからやってきた魅力的なもので溢れている。日本独自の文化の継承も大切だが、それよりも今日の自分の生活が、10年後、20年後の自分の生活のほうが大切だ。

これからの日本では(すでに始まっているが)、これまで豊かだった多くの文化・食文化が消えていくだろう。

それも1つの未来ではあるが、できればそんな未来は迎えたくない。たとえ生活の心配がなかったとしても、24時間VRの3食ディストピア飯の生活では、何のために生きているのかわからない。それでは映画マトリックスの世界だ。

生きていれば何でもいいというわけではない。やはり文化は豊かであるに越したことはない。自分の生活、家族の生活ももちろん大切だが、余裕がある時は文化維持に寄与するような行動を取っていきたい。と、そんなことをチーズケーキの歴史を調べていて思った。

※参考図書

「お菓子の由来物語」猫井登(幻冬舎)
「ファッションフード、あります。」畑中 三応子(筑摩書房)
「カリスマフード: 肉・乳・米と日本人」畑中 三応子(春秋社)
「西洋菓子彷徨始末」吉田菊次郎(朝文社)
「チーズと文明」ポールキンステッド(築地書館)
「日本の食文化史――旧石器時代から現代まで」石毛 直道(岩波書店)

他にお当ブログではチーズケーキの歴史や種類を紹介しているので、ぜひご覧いただければと思う。

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