【チーズケーキの歴史】チーズケーキの発祥と日本におけるチーズケーキの歴史

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チーズケーキは、好きな洋菓子ランキングの上位にもはいる人気菓子なのだが、歴史についてあまり語られることがない。

そこで可能な限り、チーズケーキの歴史をこのブログでまとめることにした。現段階では、ネットと本で得られる情報をまとめたにすぎないので、未完な情報もあるが、ひとまずということで、こちらで公開していくことにした。

目次

チーズケーキの歴史・世界編

まずは海外のチーズケーキの歴史について紹介する。チーズケーキの起源はチーズケーキをどう定義するかにもよるが、チーズに砂糖やはちみつで甘味を添加したケーキ状のものを「チーズケーキ」だと定義するなら、チーズケーキは紀元前から食べられたという記録がある。

チーズケーキは紀元前から食べられていた

チーズケーキの発祥には2つの説がある。

1つは、チーズケーキは中近東のチーズと蜂蜜を組み合わせたお菓子が原型であるという説。2つ目は、古代ギリシャに存在した「トリヨン」という食べ物が原型であるという説だ。この「トリヨン」は、チーズに乳や卵、小麦粉を混ぜて茹でたもので、チーズプリンに近いものだそうで、正確な起源は分かっていないが、トリヨンは紀元前776年の第1回のオリンピックに、選手たちに提供されていた。また紀元前5年にはギリシャの医師によって、チーズケーキに似たお菓子の料理法が記述されている。

紀元前2100年頃~紀元前2000年頃のメソポタミアのウル第三王朝時代に作られた辞書のなかには、「蜂蜜チーズ」という単語が出現している。同じくメソポタミアでは、チーズを材料としてつくったフルーツケーキが王家の食品リストに含まれている。(※チーズと文明)

現在のようなチーズケーキとはだいぶ違うといえるが、チーズケーキ的なものは、はるか昔から食べられていたようだ。そもそもヨーロッパや西アジア、中東では、紀元前7000年頃からチーズが食べられていた。チーズを食べるときに蜂蜜や砂糖、フルーツなどをトッピングして、甘くして食べる機会は当然あっただろう。

現在のチーズケーキに近いものは中世に

先に紹介した「トリヨン」は、現在のチーズケーキとは少し違ったものだった。現在のチーズケーキに近いチーズケーキは、英語版のウィキペディアによると、1390年のイギリスの料理本『Forme of Cury』にみられる「サンボケード(sambocade)」だそうだ。この説にもとづいてイギリスのとある料理人は、「チーズケーキはイギリスが発明した」と主張しているそうだ。

また現在見られるチーズケーキの原型は、ポーランドの「セルニク(セルニック)」だという説がある。「セルニク」はポーランド語で「チーズケーキ」を表す単語だ。このセルニクは、ポーランドのポドハレ地方で中世前期から作られていたお菓子で、上下にパイ生地を敷き、中身は白チーズとカスタードクリームを混ぜた生地になっている。

1900年代にニューヨークでチーズケーキがブームになる

このセルニクは、1800年頃に、ユダヤ人によってアメリカに伝わる。

1872年になり、いろいろな材料と混ぜやすいクリームチーズがアメリカで発売されると、チーズケーキはニューヨークの多くのレストランで提供されるようになった。またニューヨークの街でよくみかけるチーズを使ったケーキということで、チーズケーキは、自然と「ニューヨークチーズケーキ」と呼ばれるようになったのではないか、と海外のサイトでは紹介されていた。

ニューヨークチーズケーキの解説はこちら

地域によって独自のチーズ菓子もある

また1800年代のフランスでは「トゥルトーフロマージュ」という、チーズを使用した焼き菓子も登場している。

トゥルトー・フロマージュ
トゥルトーフロマージュとは?

チーズケーキをどう定義するかによって、チーズケーキ発祥の時期は異なるだろう。しかしチーズを甘く加工したお菓子は、紀元前からギリシャや中近東で食べられていたようだ。

※ここまでの参考資料
『チーズと文明』ポールキンステッド(築地書館)
『お菓子の由来物語』猫井登(幻冬舎)
wikipedia – cheesecake 2022年7月確認

日本におけるチーズケーキの歴史|いつからある? ブームはいつ?

ここからチーズケーキが日本にどのようにして浸透していったのか、その流れを紹介する。

平安時代にはチーズケーキに近いものを食べていた可能性がある

日本の伝統料理には乳製品が登場しない。日本人が乳製品を食べるようになったのは、肉食が解禁された明治時代以降とする説が一般的である。しかしながら実は、日本人は平安時代まで牛乳を飲み、乳製品を食べていた。

645年には、孝徳天皇に献上する薬として牛乳の記録があるという。またこの時代の日本では、「酪」と「蘇」という2つの乳製品が作られている。

「酪」はヨーグルト、または練乳のようなもので、「蘇」は乳を濃縮した乳製品で、チーズのようなものだったといわれることがあるが、厳密にはクリームやバターに近いものだったといわれている(酵素を加えていないのでチーズとはいえない)。

「蘇」はコロナ禍におけるステイホーム期間中に、牛乳を大量に使う方法として、ネットで話題になった食べ物だ。そのレシピは当時とは違うようだが、日本人が古代から乳製品を食べていたことの証拠でもある。

奈良時代までは乳製品は皇族だけが食べられるものだったが、平安時代になると貴族の間でも食べられるようになる。なかでも紫式部が仕えた中宮彰子の父である藤原道長は、重病を患ったとき「蘇蜜煎」という、蘇に蜜を合わせた食べ物を服用したことが日記に書かれているそうだ。

平安時代にはすでに蜂蜜や砂糖などが存在しており、これらを使って蘇を甘くして食べていた。「蘇蜜煎」は、厳密に考えればまったくチーズケーキではないのだが、平安時代の日本人はすでにチーズケーキに近い、甘い乳製品を食べていた可能性があるのだ。

ただし乳製品を食べる文化は鎌倉時代の訪れとともに幕を閉じる。その主な原因は、仏教における肉食禁止令と、乳製品を貴族と皇族だけが独占していたために、鎌倉時代に実権を握る武士たちに浸透しなかったことだとされている。

1873年『万宝珍書』に「チーズケーキ」という単語が登場する

日本において「チーズケーキ」という単語が登場するのは1873年(明治6年)の「万宝珍書」という書籍の中だ。これは百科事典の一種で、「甘味の製法」という項に最新西洋菓子のレシピとして「ライスチーズケーキ」が掲載されていた。

「ライスケーキ」は餅のことなので、おそらくチーズを混ぜた餅のことなのだろう。詳しいレシピはわからないが、日本で初めて「チーズケーキ」という単語が使われた瞬間である。

ちなみに明治時代といえば、国を挙げて西洋化を進めていた時代で、その流れもあって西洋菓子が紹介されたのだと考えられる。しかし明治初期といえば、肉食が解禁されて間もない時だ。それ以前は、牛乳を飲むことは動物の血を飲むことと同義としてタブー視されていたのだから、急にチーズケーキを、ましてやチーズを食べる習慣など身につかないだろう。

戦前の料理本でも何度かチーズケーキが紹介される

1903年から1913年に明治期新聞に掲載されていた小説『食道楽』のなかには、チーズの食べ方として「ソフレー」が登場する。この「ソフレー」は、現在のスフレチーズケーキに近いものだったという。その引用部分は以下の通り。

チーズをおろしおき、バタをとかし母を加へ牛乳を入れて立たせ、位、赤胡椒チーズを入 れ湯の上においてあつくしておき、卵黄をよく打ちて加へてこれを冷し、白味をかたく打ちて前配の中に折り込みパタをしいた機皿の中に流し込みこの焼風を湯を入れた他の焼風の中に立 でて十五分乃至二1十分中火の天火にて焼く。

食道楽

ベイクドやレアではなく、スフレチーズケーキの登場が一足早かったのは、織田信長の時代、すでにカステラが定着していたからだろう。カステラとチーズを合わせた食べ物として「ソフレー」があったのではないかと推測している。

ちなみに明治初期には、すでに牛乳やバターを食べる習慣はあった。一方で発行させ、独特の風味があるチーズはあまり好まれなかったようで、「ソフレー」にも抵抗があったようだ。

1926年(大正15年)には『趣味と実用の西洋料理』という西洋料理のレシピを紹介した本のなかで、1927年(大正16年)には『欧米の菓子と料理』という本のなかでチーズケーキが紹介されている。

『趣味と実用の西洋料理』のなかではチーズ料理を紹介する項目に「チーズスフレー」のレシピが紹介されている。材料の中に胡椒が入っていたが、その他のレシピは現在のスフレチーズケーキとほぼ変わらない。

1946年、レストランでチーズケーキが提供される

レシピ本のなかに存在していたチーズケーキであるが、1946年になるとレストランで提供されるようになる。その第一号と思われるのは、銀座のドイツ料理屋「ケテル」だ。「ケテル」はドイツ人の第一対戦時の青島における日本軍捕虜として日本につれてこられたヘルムート・ケテル氏が1930年に銀座にオープンさせたお店である。

日本にいるドイツ人のたまり場となったこの店は、戦中、戦後の日本で本格的なドイツ料理を食べられる稀有なお店だったという。そして1946年には、焼かないタイプのチーズケーキと焼いたタイプのチーズケーキ(今でいうところのレアチーズケーキとベイクドチーズケーキ)が提供された(1980年4月24日『女性自身』)。

ケテルは1930年、ヘルムートケテルによって創業したドイツ料理屋。現在閉店しているが、ケテルの料理人の一人は、池袋のドイツ料理屋エリカで働いていおり、またケテルのケーキのレシピは、ハルムートケテルの息子、カールケテルによって、京都にあるケーキ工房イノダコーヒーに継承されているという話もある。

エリカの食べログのページ
ケーキ工房イノダコーヒーの食べログのページ

その後、チーズケーキは、外国人が運営するレストランや、海外で修行したシェフのレストランで提供されることになる。たとえば1953年、ケテルと同じ境遇で日本にやってきたドイツ人のフロインドリーブ氏が、神戸で運営していたお店、「フロインドリーブ」で焼きタイプのチーズケーキが販売された。また1957年には六本木のユダヤ人が運営するユダヤ料理のお店「ユーラシアデリカテッセン」がチーズケーキを提供している。

※2013年10月26日(土)放送のテレビ番組『出没!アド街ック天国 「東十条」』で、東十条にある洋菓子屋シェルボンの店主、鎌田明彦氏が日本で初めてレアチーズケーキを世に出したという話が紹介された。またシェルボンの公式サイトをみると「洋菓子に始めてクリームチーズを取り入れ現在のチーズケーキの基本を開発。」との記載がある。鎌田氏がレアチーズケーキを世に出した明確な時期はわからない。現在調査中(シェルボンの公式サイト)。

1960年には銀座の名店「キャンティ」でチーズケーキが売られる

そして1960年にはようやく日本人のお店が登場する。早かったのは六本木にある本格イタリア料理屋の「キャンティ」。フィアドーネという独特のチーズケーキが登場した。

その後1964年にはホテルオークラと静岡のまるた屋洋菓子店が。1965年には当時赤坂にあったTop’s(トップス)がチーズケーキの提供を開始した。

Top's(トップス) チーズケーキ (5)
Top’s

1970年代、チーズケーキがブームになる

1960年代頃から徐々に販売されるようになったチーズケーキは、1970年になるとブームを迎える。

きっかけは神戸発の洋菓子屋「モロゾフ」が1969年に発売したチーズケーキといわれている。他方、1970年にフィラデルフィア社がクリームチーズを発売したことやカッテージチーズの認知度が上がったことで、チーズが菓子の材料として注目されたことも、チーズケーキがブームになったきっかけなのではないかと考えられる。

日本全国、都会から田舎までショートケーキ、シュークリーム、モンブランを三種の神器とする「日本風洋菓子」が幅をきかせ、代わり映えしなかった戦後のケーキ界で最初の大ヒット作といえば、七〇年代のチーズケーキである。
<中略>
両方とも(クリームチーズとカッテージチーズ)塩気がなくて柔らかく、生クリームにかわるケーキ作りに最適の材料だったので、マンネリを打ち破る救世主として洋菓子店が飛びついた。

引用:「ファッションフード、あります。」 畑中三応子著( 筑摩書房)

チーズケーキを提供するお店が増えるようになると、「ノンノ」や「週刊女性」といった女性誌でチーズケーキが特集されるように。ショートケーキやシュークリームと並んで、チーズケーキが定番ラインナップの1つになったのだ。

ちなみに1970年代は、パン屋の「ドンク」が初めてフランスパンを販売、「シェーキーズ」のオープン、クレープ屋の登場、ミスタードーナツのオープン、カップヌードルの登場など、1970年代は食においても激動の時代だった。

モロゾフ デンマーククリームチーズケーキ (5)

モロゾフのチーズケーキ

1990年代、ティラミスがブームになる

ドッグベリー ティラミス

ドッグベリーのティラミス

1990年代に入るとティラミスが流行する。ティラミスはマスカルポーネというチーズを主原料にしたスイーツで、イタリアのチーズケーキと呼ばれることもある。

ティラミスはブームになる前から一部のイタリアンレストランで提供されていたのだが、1990年に発売された女性誌の「Hanako(4月号)」でティラミスの特集が組まれたことが契機となり、ブームに火がつく。

ブームになったティラミスは、ファミリーレストランやファーストフード店にも登場。さらには菓子パンや量産型菓子にも登場。ブームになったスイーツが、ファミレスや菓子パン、菓子などにも登場する流れは、2018年にブームになったバスクチーズケーキとそっくりだ。

ちなみにティラミスがブームになった要因としては、

  • 1980年代に後半にムースが流行っていたこと
  • イタ飯がブームになっていたこと
  • 従来のチーズケーキよりも柔らかく口当たりが新鮮だったこと

これらが挙げられる。

1990年、「りくろーおじさん」の焼き立てチーズケーキが大阪でプチブームに

ティラミスブームの影で、大阪のチーズケーキがプチブームになっていた。現在でも大阪土産として定番の「りくろーおじさん」のチーズケーキだ。

りくろーおじさん チーズケーキ

「りくろーおじさん」は難波、梅田、新大阪などに出店する大阪で人気の洋菓子屋だ。チーズケーキを焼き立てで提供するという前代未聞のスタイルが話題となり、店の前には行列ができた。

1998年、ルタオがドゥーブルフロマージュを発売

1998年になると一層ユニークなチーズケーキが発売されるようになる。その先駆けとなったのが、北海道小樽の洋菓子屋「ルタオ」のドゥーブルフロマージュだ。

ドゥーブルフロマージュは、ベイクドチーズケーキの上にマスカルポーネを使ったレアチーズクリームをのせた、2層のチーズケーキだ。レアとベイクドのいいとこ取りのようなこのチーズケーキは、今でも根強い人気がある。

ドゥーブルフロマージュは、北海道富良野にある洋菓子屋、「フラノデリス」のオーナーである藤田氏が考案したチーズケーキだ。藤田氏はハワイでの修行中、ニューヨークチーズケーキになにか一工夫できないかと思ったことから、ドゥーブルフロマージュのようなチーズケーキを考えついたらしい。

また「ルタオ」のドゥーブルフロマージュはフラノデリスの藤田氏による技術指導によって開発されたものだという。

2018年バスクチーズケーキがブームになる

1990年代以降、さしたる話題になることはなかったチーズケーキだが、2018年に改めてスポットライトを浴びることになる。そのチーズケーキはこれまでのスフレやレア、ベイクドとも違う新しいチーズケーキだった。

バスクチーズケーキだ。

恵比寿 BELTZ(ベルツ) バスクチーズケーキ (16)

BELTZのバスクチーズケーキ

バスクチーズケーキは美食の街として知られているバスク地方(スペイン、フランス)にあるバルで、提供されていたチーズケーキを模倣したものだ。

バスクのチーズケーキを模倣したものは2011年頃から日本でも一部の洋菓子屋が発売していたが、ブームに火が付いたのは2018年のバスクチーズケーキ専門店「GAZTA」がオープンしてからだ。

バスクチーズケーキは、従来のチーズケーキの倍の量のクリームチーズを使用しており、これまでのチーズケーキにはない濃厚な味を楽しめた。さらに、高温で短時間だけ焼くことで表面は焦げている一方で、中身は半熟状態になっており、レアでもないベイクドでもない独特の食感と独特な見た目を有している。

紐を解くと単にクリームチーズケーキの使用量が多いベイクドチーズケーキなのだが、これまでにない新しいジャンルのチーズケーキとしてバスクチーズケーキはまたたく間に話題になった。

2019年の3月にはバスクチーズケーキを模倣した商品が、早くもコンビニ、ローソンで発売されるように。ローソンで発売された「バスチー」は、圧倒的ヒットを記録。続いて他のコンビニ、スーパーがバスクチーズケーキを発売しはじめた。

ティラミスブームの時と同じく、ファミリーレストランや菓子パン、量産型菓子にも登場するなどしている。

2019年、「Mr. CHEESECAKE」が話題に

近年、もう1つ特筆しておきたいチーズケーキが「Mr. CHEESECAKE」だ。

「Mr. CHEESECAKE」は、ミシュランで星を獲得したレストランでシェフを務めた経験もある田村浩二が、2018年12月からネット限定で発売しはじめたチーズケーキだ。当初は週に2回だけ発売していたチーズケーキだが、SNSで話題となり2019年8月4日に公式サイトをオープン、本格的に販売することに。

また洋菓子界では珍しく、クラウドファンディングの「Makuake」で出資を募り、それが大成功した。

ミスターチーズケーキ (14)

商品は1つのチーズケーキのみ。ネット販売限定で、3000円を超えている。当時としてはやや強気な価格設定にもかかわらず、発売開始から1年以上が経つ現在でも入手困難な状態が続いている。

なぜ「Mr. CHEESECAKE」は話題になったのか? 列挙すればキリがないのだが以下の3つの点においては前代未聞だった。

  • 味や食感だけでなく、匂いにまでこだわっていた
  • WEBサイトやチーズケーキの箱にまで、シェフの思いやチーズケーキの世界観を徹底的に盛り込んだ
  • ネットで話題になるような仕掛けを作った
ミスターチーズケーキ (18)

「Mr. CHEESECAKE」は、これまでのチーズケーキが上手く表現できなかった匂いの部分を際立たせた。

またWEBサイトの設計に関してもこだわっている。購入ボタンにたどり着くまでに「Mr. CHEESECAKE」の世界観をこれでもかというほどに見せられる。

そして何よりお洒落だ。これまでの洋菓子屋のチープなデザインのサイトや、雑多なデザインのサイトとは大違いだ。
Mr.CHEESECAKEのWEBサイト

他にも、箱やチーズケーキに添付されているメッセージカードなど、その世界観を細部にまで徹底的に散りばめている。

公式サイトでは、メディアキットという「Mr. CHEESECAKE」の素材が配布されている。これはネットで紹介しやすくするための素材なのだが、メディアキットを配布する洋菓子屋など、これまでになかった。

「Mr. CHEESECAKE」の際立った点はたくさんあり、日本のチーズケーキの歴史に名が残ることは間違いないだろう。
Mr. CHEESECAKEの解説

おわりに

以上チーズケーキの歴史をざっくりまとめてきた。チーズケーキに関しては、その定義も曖昧であるし、また文献も少ないので、まだまだ未知の部分が多い。現存する文献だけでなく、関係者に対する取材もしていく必要があると思われる。今後も引き続き情報収集を進め、日本におけるチーズケーキの歴史を記録していければと思う。

参考資料

ネット記事

書籍

  • 「お菓子の由来物語」猫井登(幻冬舎)
  • 「人気料理家11人の本当に美味しいチーズケーキ」 (KADOKAWA)
  • 「スイーツ手帖」一般社団法人 日本スイーツ協会 (監修) 主婦と生活社
  • 「ファッションフード、あります。」畑中 三応子(筑摩書房)
  • 「カリスマフード: 肉・乳・米と日本人」畑中 三応子(春秋社)
  • 「西洋菓子彷徨始末」吉田菊次郎(朝文社)
  • 「明治洋食事始め とんかつの誕生」岡田哲 (講談社学術文庫) 
  • 「チーズと文明」ポールキンステッド(築地書館)
  • 「チーズケーキ本」(昭文社)
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